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かぐや姫の育ての親、讃岐造(さぬきのみやつこ)と讃岐神社

[2022年5月26日]

ID:5

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讃岐神社


 『竹取物語』の中でかぐや姫や育ての親である竹取の翁が暮らしたとされる広陵町。

中でも、讃岐造(さぬきのみやつこ)ゆかりとされるのが、広陵町三吉に鎮座する讃岐神社です。


讃岐神社(広陵町三吉328)


 讃岐神社は延喜式神名帳に記された神社と考えられ、現在は大物忌命・倉稲魂命・猿田彦命・大国魂命を祭ります。これらの祭神は明治以降に定められたものであり、それ以前の祭神はさまざまに記され、正しくは不詳としなければなりません。

  また、『日本三大実録』元慶七年(883)の散吉大建神・散吉伊能城神に従五位下を授ける記事は、当社に関する可能性が大きいといわれ、『神名帳考証』には讃岐国と関係が深い祭神である景行天皇の皇子五十香足彦命を祭ると記されています。

 境内にある八基の灯篭は平尾・寺戸・大垣内・斉音寺・古寺・中・笠・赤部村から、それぞれ奉納されたものです。『大和志』記載の村数とはことなりますが、おそらくこの八村が本来 讃岐神社の宮郷を構成していたものと考えられます。

 拝殿には、元禄三年(1690)に奉納された蒙古襲来兵舩図など多数の絵馬がかけられ、また社像品として海北友賢作の三十六仙扁額があります。戦国時にこの地域を支配した箸尾為春から寄進されたことを伝えています。


『竹取物語』の舞台が讃岐神社周辺であるとされる理由

讃岐神社イラスト


 かぐや姫に求婚する五人の貴公子の名は壬申の乱(672)で活躍した実在の人物であり、かぐや姫の館に求婚のために通った記事から、竹取物語の舞台は大和国広瀬郡散吉郷(現広陵町三吉)であるとされています。

 讃岐の一族が大和朝廷に仕えるため、竹の豊富なこの地に移りすみ、竹取物語が生まれたと考えられているからです。



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