観光 神社
[2017年1月19日]
ID:25
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延喜式神名帳に記された神社と考えられ、現在は大物忌命・倉稲魂命・猿田彦命・大国魂命を祭るが、『日本三大実録』元慶七年(883)の散吉大建神・散吉伊能城神に従五位下を授ける記事は当社に関する可能性が大きい。『神名帳考証』には讃岐国と関係が深い祭神である景行天皇の皇子五十香足彦命を祭ると記される。
竹取物語の舞台が讃岐神社周辺であるとされている。かぐや姫に求婚する五人の貴公子の名は壬申の乱(672)で活躍した実在の人物であり、かぐや姫の館に求婚のために通った記事から、竹取物語の舞台は大和国広瀬郡散吉郷(現広陵町三吉)であるとされている。讃岐の一族が大和朝廷に仕えるため、竹の豊富なこの地に移りすみ、竹取物語が生まれたと考えられる
中集落の南、高田川の東岸に鎮座する神社で倉稲魂命を祭神とする。社伝によれば舒明天皇の時代に創建され、室町期になるとこの地域を支配した箸尾氏の崇敬を受け、その保護のもとで社殿が造営され、永禄六年(1721)には郡山藩主本田氏から神殿造営の供田の寄進を受け、その後、柳沢氏の家老柳沢里恭も深く信心し、亨保二十一年(1736)一石二斗の田地を寄進した記録が残されている。
古寺集落に鎮座する神社で素戔男命(すさのうのみこと)を祭る。本殿は春日造で、問口六問の大型の拝殿が建てられる。境内にはケヤキの巨樹が生育している。主幹は、地上2.5mで二岐し、地上1.3mの幹まわりは4.3m、(直径1.4m)、樹高は約25m、枝張は計測可能な南北方向で21.7mあり、樹勢は旺盛である。この他に境内にはムクノキの巨樹が数本みられる。盆地にあって有用樹種であるため、このような巨樹が残ることは珍しい。
延喜式神名帳に記された神社で祭神は櫛玉比女命を祭る。神殿は前方後円墳の後円部に築かれ、周濠の痕跡が明瞭に残り、埴輪の破片が出土する。明治時代以前には弁財天とも呼ばれていた。地名ともなっている弁財天は弘安七年(1284)に吉野郡天川村の天川弁財天を勧請した縁起を今に引く。
晩秋の11月2日・11月3日に行われる「戸閉祭」は各村の地車が引かれ、古式豊かで勇壮な宮入が行われる。
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