『竹取物語』冒頭~「竹取の翁」はどう描かれているか?~
[2022年4月18日]
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「今は昔、竹取の翁といふおのありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、よろづのことにつかひけり。名をばさぬきの造となむいひける…」
むかし・むかしのこと、竹取の翁というおじいさんがいた。
いつも野や山に入って竹をとって来て、色々なものを作って商売にしていた。
おじいさんの名は讃岐の造といった。
(『広陵町史』より)
竹取の翁は「さぬきの造(讃岐造)」という名前で登場します。古代では、土地名=土地を代表する人の名前です。ですので「讃岐」=「讃岐(国)」に住んでいたと思われます。「造」はおそらく、朝廷から命ぜられたその村の長という意味であったろうと思われます。
讃岐一族が大和朝廷に仕えるため、竹の豊富な讃岐神社周辺である広瀬群散吉郷(広陵町)に移り住んだためだと思われます。
「大日本地名大辞典」には、北葛城郡馬見村に三吉という大字があって、昔の散吉郷であると書かれています。昔の散吉郷は奈良時代から江戸末期まで、「大垣内・赤大垣内、赤部、斉音寺、笠、古寺、中、寺戸」の七ヶ大字で成り立っていました。これが明治時代はじめに「大垣内・赤大垣内、斉音寺」で馬見三吉となり、昭和三十年の合併時に現在の広陵町三吉となっています。昔の「讃岐郷」が、「馬見町三吉」に変わりました。
散吉・三吉は文献ではともに「サキ」ともよばれ、また「サンキチ」とも読まれ、同音同類であることがわかります。さらに古代ではこの「散吉」は「サヌキ」とよばれたことも記されています。三吉と讃岐は同音で、ともに「サヌキ」と読めます。
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