観光 寺院
[2017年7月12日]
ID:24
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『日本書紀』舒明天皇十一年(639)七月の条に「詔して曰く、今年大宮及大寺を作らむ。百済川の側を以て宮処と為す。是を以て、西の民は宮を造り、東の民は寺を作る。即ち書直県(ふみのあたいのあかた)を以て大匠(おおたくみ)と為す。」とある百済大寺伝承地である。現在の三重塔は鎌倉時代に建立された考えられる。大織冠(たいしょくかん)と呼ばれる本堂は、談山神社の本殿を移築したもので毘沙門天像、菩薩立像をまつる。また、弘法大師が掘られたと伝えられる梵字池が境内に残る。
広瀬字田中にある三間四方の四注造本瓦葺の本堂に弘法大師像がまつられている。像高83.6cmの座像で右手に五鈷杵(ごこしょ)、左手に数珠を持つ。後頭部内部の墨書から応安六年(1373)に僧行盛が造立したことがわかる。奈良市、元興寺に所蔵する弘法大師像に次ぐ古さである。境内の南には弘法大師が掘られたと伝えられる梵字池、修行石が残る。
弘法大師座像の脇壇には、厨子に納められた十一面観音像(鞘仏)があり、解体修理によって像内から中国唐代に制作されたと推測される一尺程の檀造十一面観音立像が発見された。類例のない十一面化仏の配置と緻密な彫刻は、法隆寺の国宝九面観音立像に並ぶべき優品である。また、納入文書から鞘仏として制作された十一面観音が天福元年(1233)に造立されたことも判明している。現在、鞘仏と十一面観音立像は収蔵庫に収められている。
古寺集落の北にある正楽寺観音堂に安置される本尊で2mを越える。右手に錫杖、左手に水瓶をとる形式の長谷寺式十一面観音立像である。檜の寄木造りで体幹部を正面二材、背面四材から造る構造は、当時の大像制作の木寄せを示している。平成七年度解体修理中に発見された墨書銘から僧永覚の縁者の祈願により造立されたことがわかる。肩幅が広く、腕をゆったりと構えた姿は均整がとれ、表情はおだやかである。単調な肉どりや浅く刻んだ衣の表現などから、平安時代末期(十二世紀後半)の制作と考えられる。この時期の南都における保守的な作風を示し、その大きさからも注目される像である。
聖徳太子の建立と伝えられ、高野山金剛峰寺多門院の末寺で満島山を号する。江戸時代には、三十石が下付され、徳川家康から家茂までの歴代将軍の朱印状が残されている。六間四方の巨大な本堂に安置されている十一面観音立像は右手に錫杖を持ち、左手に水瓶をとる十一面観音立像で、左に難陀竜王(なんだりゅうおう)像、右に雨宝童子(うほうどうじ)像を侍立する。長谷寺の安置形式にならって造立された三尊像で、一具完存する数少ない遺品のひとつである。像内墨書から箸尾殿の立願により永禄三年(1560)に造立されたことがわかっている。良質の檜材を用いて彩色せず、木肌のままを生かして仕上げる宿院(しゅくいん)仏師のよる制作の特徴があらわれている。
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