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巣山古墳出土の準構造船

[2019年4月26日]

ID:2202

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巣山古墳出土の準構造船

 はじめに
 巣山古墳は盆地西部に出現する最大級の前方後円墳で特別史跡に指定されている。周濠部分が農業用溜池として利用されているため、水位変動や波により墳丘と外堤の裾が大きく削り取られ、墳丘第一段に列べられた埴輪列が露出した状況に至っていた。このため、墳丘・外堤法面を保護する史跡整備事業と発掘調査を継続して行っている。第1次調査では当初の墳丘規模が全長約220メートルであることが判明した。第3・4次調査は出島状遺構の調査を行い、第5次調査は周濠の断面形状を確認するための調査を行った。
 調査成果
 前方部北東隅から周濠北東隅まで周濠を斜めに横断するトレンチを設定したところ、周濠北東隅の葺石裾付近から多くの木製品が出土した。柱材、板材とともに、準構造船と考えられる部材が出土している。竪板(クスノキ)は約210センチメートル、幅約78センチメートル、下部の厚さ約25センチメートル、上部厚さ約5センチメートルで側面に突起が付き、表面には円文様を中心に直弧文が描かれる。基部は船底の丸木船を跨ぐように「ハ」字状に加工され、根元が太く湾曲するのに対して先端は薄く平らに仕上げる。裏の両側縁には溝があり、中程にずれがあることから舷側板が二段に当っていたと考えられる。八尾市久宝寺遺跡から出土した準構造船の竪板と基本的構造が同じであり、直弧文を画する帯表現は大阪市長原高廻り2号墳出土の船形埴輪の竪板表現に酷似する(注1)。舷側板(スギ)は約370センチメートル、幅45センチメートル、厚さ5センチメートルで端部が反り上がる。上端には三箇所の切り込みがあり、下端にも長方形の小孔が並び、一個の孔には桜の皮や木片が残り、背面の痕跡から5センチメートル程の角材と繋いでいたことが推測される。表面には円文様と帯文様が彫刻され、円文様は方形区画の中に表現している。中央の円文様以外は帯文様が上に描かれ重複文様となり、赤色顔料が塗られた痕跡が認められる。このほかに、舷側板と考えられる三角形材(クスノキ)がある。長さ180センチメートル、幅38センチメートル、厚さ5センチメートルで、一端は細くなり枘となっている。表面には円文様と帯文様があり、舷側板と関係のあることが判る。
 丸木船の上に竪板が斜め外方に取り付けられ、竪板裏の溝に舷側板(スギ)の反り上がった端部が嵌め込まれ、三角形の舷側板は舷側板(スギ)の下段に竪板と丸木船を繋ぐように使われたと考えられる。舷側板(スギ)の文様構成から左右対称であった考えると準構造船の全長は8メートルを超えるものと推定される。
 まとめ
 周濠の北東隅から出土した準構造船は『古事記』仲哀記、忍熊王の反逆記事にある「喪船」(遺骸を載せる船)とみられる。また、『隋書倭国伝』に「貴人は三年外に殯し・・・葬に及んで屍を船上に置き、陸地これを牽くに、あるいは小輿をもってす」(注2)とあることから、葬送儀礼に使用されたと考えられる。しかしながら、巣山古墳が築かれた当初、出島状遺構が現れていたとすれば周濠の水は浅く、8メートル以上もある準構造船を浮かべたか疑問が残る。葬送儀礼の後に解体され周濠の北東隅に埋められたと考えた方が妥当であろう。伴出した柱や板等の建築部材は東殿塚古墳の鰭附き楕円形埴輪に描かれた船にあるような屋形を構成するものかもしれない(注3)。

注1 岡林孝作「古墳時代木棺の用材選択に関する研究」平成15~17年度科学研究費補助金基盤研究(C)(2)『古墳 時代木棺の用材選択に関する研究』(課題番号15520489)研究成果報告書2006年
注2 石原道博 編訳「新訂魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」-中国正史日本伝(1)-岩波書店 1996年
注3 天理市教育委員会「西殿塚古墳・東殿塚古墳」天理市埋蔵文化財調査報告 第7集 2000年

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